単発作品

ボーイミーツガール、箱庭にて


「おはよう、だんなさま! 体は動く? 痛いところはない?」
 元気よく訊ねると、彼はぱっちりと目を開いて、呆然とわたしの顔を見ていた。
 きれいな顔をした、わたしよりも年上の男の人。亡くなったときのお母さんと同じぐらいの歳だろうか。
 庭に倒れていた彼を拾ったのは今朝のことで、半日たってようやく目を覚ましてくれた。がっしりとした体はとにかく重たくて、家まで引きずっていくのは大変だった。
「あ、あの……ここは……俺は……」
「ここは私の家だよ、だんなさまは庭で倒れてたんだ」
「そう……なのか」
 いまいち状況を呑めていないみたいで、彼は歯切れの悪い返事をして、きょろきょろと辺りを観察しだした。
 自分が寝ていたベッドを叩いてみたり、壁の木目に触れてみたり、部屋を照らす夜光花を見つめたり……とにかく落ち着かない様子で。無理もないと思う。
 そして今度は私の目を覗いて、私とお母さんよりもずっとずっと低い声で喋りだした。
「君が運んでくれたのか」
「うん!」
 大きくうなずく。そうなんです、頑張ったんだよねー。
「……ありがとう。重かったし、怖かったろ」
「重かったけど、怖くなんてないよ。外から来る人はそういうものだって知ってるもん」
 そう、知ってるんだ。お母さんから聞いたから。外の世界から来るのは男の人で、形が――性別の話じゃなくて、生き物として――違っているものだって。
 私は彼の右手をとって顔を近づけてみた。いい香りがする。
 ぼろぼろの服から露出した彼の右半身は、ほとんどが色も形もさまざまな花で覆われていた。その間からわずかに見える肌は緑色をしていて、草木の葉っぱみたい。人間と花畑の混血ってこんな感じなんだろうか。
 私が花の香りにうっとりとしていると、彼は困ったような顔で口をぱくぱくとさせた。喋りたいことが喉につっかえているような、そんな様子で。
「だんなさま、どうしたの?」
「いや、ええと……助けて貰っといて何だけどその、そんな無防備に男に近づいちゃダメだ」
「むぼうび?」
「隙だらけってことだよ。特に俺は女に飢えてるからますます危ない、っていうかその旦那様って何なんだ」
「あっ……ごめんなさい、ちょっと焦っちゃった。あのね、わたしとつがいになって、だんなさまになってほしいんだ!」
「はァ!?」
 驚く声が耳に痛い。もしかして嫌だったのかな。
 ここに迷い込んでくるということは、つまりそういうこと、ってわかっている……ような気がしていた。自分に都合のいい状況になるって、いつの間にか信じ込んじゃっていたみたい。
「えーと、落ち着いてくれ……じゃなくて落ち着かなきゃならないのは俺か。いや君も冷静に考えてくれ。なんでそこらへんで拾った化物に嫁ごうだなんて思ったんだ」
「お母さんから聞いたの! わたしが子供を産める体になったら、男の人が迷い込んでくるからつがいになりなさいって。だからわたし、ずっと楽しみにしてたんだよ」
「そ、そっか……よくわからんけど行き倒れが俺みたいなやつですまんな……」
 だんなさま(になる人)は消え入りそうな声で答えて、床に視線を逃がしてしまった。そんな申し訳なさそうな顔しなくていいのに。
「謝る必要なんてないよ! ……嫌、かな?」
「え? そりゃあ嫌じゃないし、君みたいなかわいい子が近くにいるだけで嬉しいけど、俺にはもったいないし、それに俺脱いだらもっと化物だし、まず状況を把握させてほしいわけで、えーと」
 彼には申し訳ないけれど、慌てている顔はかわいいなと思った。乱暴者でもなさそう。この人がわたしのだんなさまになるんだなあって思うと、嬉しくってそわそわしてしまう。
 深く息を吸って吐いた彼は、両手で私の手を挟んで言った。
「少し時間をくれ。説明もほしい、ゆっくり」
「うんっ」
 そして彼は立ち上がって、家の外へつかつかと歩いて行った。わたしもその後についてゆく。今夜は月がふたつ出ているから明るかった。
 彼は家の前に立ち尽くして、花が咲き乱れている庭を、そして庭の向こうに広がる無限の暗闇をじっと見ていた。
 暗闇の正体は『何もない』。わたしが暮らしている家と庭の外には何も存在していなかった。見えない壁があるから飛び込んでみることもできない。
 わたしは彼の背中に身を寄せて、囁く。彼が早くわたしを見てくれるように。他のすべてを過去にしてくれるように。
「ここはね、閉じた世界なの。他に誰もいない。わたしは神様が与えてくれるものを使ったり食べたりして暮らしてる」
 背中に耳を押し当てると、心臓の鼓動が聞こえた。とても速い。わたしを欲しがってくれているから、だといいなあ。
「センソウもキキンもない良いところだよ。だから早く、慣れてくれると嬉しいな」
 そう告げると、彼は振り向いて、おそるおそるわたしの頬に触れてくれた。やっぱりこの人を好きになっちゃいそう、って思って、胸が痛んだ。

 神様があてがう男の人は、みんなすぐに死んでしまう。だからその前に子供を授からなくちゃならない。血を絶やさないために。
 わずかに洩れ聞こえる”外”の存在に思いを馳せながら、わたしたちはずっと、ここで神様に飼われている。
 
 


(無料配布本『むしむしプラネットインフォメーションブックvol.2』収録作品)

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